【うちの職場はバカばかり?】地下室の住人/ドストエフスキー①

 皆さんは、周りが無能やバカに見えてしまうことはありますか?私は昔はよくありました。笑(今はないですよ!)
 見方を変えれば現状に不満がある状態とも言えますので、そのような状況からは脱出したいですよね。
 きっとヒントになる本がありますので、ご紹介いたします。

 主人公は学業優秀なのですが、自意識過剰で他者を見下すきらいがあり、理屈っぽく、社会と折り合いがつけられず隠遁生活に甘んじているという人物です。(国語の教科書でお馴染みの『山月記』李徴のイメージです。)本作は主人公が一人部屋に引きこもって書気連ねた文章という体裁をとっています。

 

あらすじ

 第一部は主人公の独白、第二部は主人公の若き日のエピソードという二部構成になっています。

 第一部では主人公の思想が饒舌に語られます。
 当時のロシアに西欧から流れ込んできた合理主義(そしてそこから派生した社会主義)を批判し、人間は理性では割り切れないのだと主張します。

 二、二が四とは、実に鼻持ちならない奴だ。二、二が四なんぞ、俺に言わせれば、厚かましいにもほどがある。偉そうに恰好をつけて、腰に手を当てて人の行く手に立ちはだかり、頭から人を蔑んでいるじゃないか。二、二が四が実に申し分のない結構なものであることは認めるよ。でもなにからなにまで誉めるというなら、二、二が五だってときにはそれは可愛らしいものだと言えるんじゃないか?

地下室の手記』光文社新訳古典文庫 p69

 第二部では、主人公の若き日のエピソードがいくつか語られます。どれも自意識過剰です。笑

  • 道をすれ違う時に向こうの人が道を譲るか譲らないかにこだわる

  • 同窓会に呼ばれていなかったことに粘着

  • 自分に気のある素振りを見せた風俗嬢に対してメンヘラムーブ

 客観的に見ると滑稽に見えるのですが、自身を振り返ると共感できてしまうのが悔しいところです。。。

 第一部、第二部を通して、主人公はずっと以下のような調子なのです。

あの連中(注:同僚)ときたらどいつもこいつも薄のろで、おまけに群れの中の羊みたいに互いにそっくりなのだ。ひょっとすると役所の中で、自分は臆病な奴隷なのだという気が絶えずしていたのは、ただ一人、俺だけだったかもしれない。そんな気がしていたのは、まさに俺の知性が発達していたからである。

地下室の手記』光文社新訳古典文庫 p88

 賢い人間ならおよそ、まともな何者かになれるはずがない、何者かになりうるのは愚か者だけだ。

地下室の手記』光文社新訳古典文庫 p13

 こんな風に他人を見下していたら、人が離れていってしまいますよね。結結局、主人公は勤め先を退職して自室に引きこもり暮らすようになります。

 なぜ彼は「周りの人間がバカに見えるという病」をこじらせてしまったのでしょうか?次の記事で深掘りしていきます。